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ベルギーコラム

Vol.08 なんといっても冬はムール貝

宮崎真紀

ベルギー在住、フードジャーナリスト及び衣食住に関するコーディネーター。食の世界の生活情報誌「ボナペティ」編集長。他に、国立料理学校でのフランス料理、フラワーアレンジ、ベルギーボビンレースの教室を主催する。

冬のベルギーを訪れる日本人が必ずビックリするのが、大鍋に溢れんばかりのムール貝料理である。おまけに、冬でも店の外に並べたテーブル席で分厚いコートを着こんでパクパクと食べる様はなんとも不可解な光景だと思う。

冬の風物詩 ムール貝とフリッツ

ムール貝が嫌いなベルギー人がいたらお目にかかりたいぐらい彼らは大のムール貝党である。牡蠣も好きだが、一皿で堂々と主役をはれる庶民の食べ物といったら断然ムールとなる。鍋いっぱいのムールと黄金色に輝くフリッツ、傍らにはたっぷりのマヨネーズやマスタード。これこそベルギー人がこよなく愛する永遠の定番である。ムール貝料理は体が温まり美味しいだけでなく、実は栄養もあり低カロリーと一石三鳥のすぐれもの。庶民の食べ物などと侮ってはいけません。

ムール貝の一口メモ

ベルギー人はムールの産地にこだわる。彼らが好きなのはオランダ産。今から約300年前オランダで考案された養殖方法のおかげで、味も鮮度も抜群なものが手に入る。ムール貝は世界中の海に生息し、暖かくても極寒でも生き抜くという大した奴である。ではなぜ養殖するのか? 答えは簡単。清潔で丸々太って美味しいから。ムールは群居性で定住性という習性を持ち、仲間と群れをなし岩や砂の土手に張りついている。このため野性ものは食物を得る競争が激しく、成長が遅く身も小さく痩せて砂っぽいものとなる。ところが、ムールの揺りかごオランダ西北のゼーランド地域は、海が陸の内部に深く入り込むうえ、周りを小島がぐるりと取り囲みムールを嵐や荒波から守っている。そのうえ1日2回の潮の満ちひきは餌のプランクトンを含んだ新鮮な海水を運び、ヒトデやふじつぼなど天敵がいないゆとりある間隔で育つ深窓の娘(息子)たち。不味いはずがありません。

迷惑なお墨付き

ブリュッセルでムール貝が一番美味しい店と聞かれたら躊躇せずに挙げるのが「Bonne Humeur」。バスやトラックが排気ガスをまき散らしながら往来する下町の大通りにある見た目はパッとしない店である。以前はビールを片手にトランプやゲームに興じる人々の溜まり場だったカフェを現在のオーナー夫妻が買ったのが約40年前。以来ご主人が厨房で奥さんが接客という、ムール貝一筋の知る人ぞ知る店である。30席ほどの店はいつ行っても満員だが予約を受けないため、夕食が遅いベルギー人にしては珍しく開店直後の6時半に殺到する。しかしベルギー観光局発行の2004年度版ガイド本で「小便小僧」賞をもらって以来、ことはさらに複雑になってしまった。

もと看護婦さん

いつもパリッと糊をきかせたブラウス姿でテキパキと店員に指示を出す彼女は、ご主人のために自分の仕事を諦めたという元看護婦さん。「観光局の人がロゴ入りのプレートを持って来たので『小便小僧』賞を知ったの。主人の仕事が認められたことは嬉しいけれど、良し悪しよ。このお陰で、常連さんがいらっしゃっても既に席が埋まっていたり、観光客がタクシーを飛ばして来て下さっても、指をくわえて待って頂くか、お帰り頂くほかないの。人が列をなして待っているからといって、先客のお客様に早く席をたって頂くつもりは毛頭ありませんのでね。食事や会話をゆっくり楽しむためにいらっしゃるお客様に、心から満足してお帰り頂きたいのです」。そういえば、ここに通い始めた頃、狭い店内が順番待ちの客で混む時はお勘定をせかせたものだったが「いえいえ、どうぞごゆっくり」と全く動じない彼女なのだ。でも食べているテーブルの直ぐ横で子供にジッと見つめられてはこちらが参ってしまうのだけれど・・・。

店の名前のように“よい機嫌”

「乞食から大臣までがうちのお客様」と自慢するとおり、ここは人生の縮図のようだ。大きなダイヤの指輪に毛皮のコートのお婆ちゃんが犬にフリッツをやりながらワインを空け、隣では刺青のお兄さんと染めた金髪のカップルが実に豪快に飲み食いしている。また、親の代からの常連で今は赤ちゃん連れの若い夫婦だとか、エルメスの手帳に予定を書き込んでいるキャリア・ウーマンや、訛りのあるフランス語でオーダーするEU関係らしき男性たちなど、観察するだけで面白い。いろいろな客がいるが、共通することが一つある。それぞれの人が我家で食事をしているような幸福感に満ち足りていることだ。

この店には主役のムール貝を支える名脇役がいる。フレンチ・フライのポテト、つまりフリッツである。何でも冷凍の昨今だが、ここでは毎日ジャガイモの皮をむき拍子木に切り、それを2度揚げする。ムール貝の出る量も半端でないが、それに添えるフリッツも大変な量と聞く。それもそうだろう。ベルギー人の赤ちゃんの哺乳瓶にはミルクでなくフリッツが入っているといわれるフリッツ・マニアの彼ら、男性なら少なくとも2皿をたいらげるからだ。しかしフリッツだけを食べるなら私だって2皿なんて軽いほど、つくづく美味しい逸品である。でも、こんな記事を書くとなおさら客が増え、職業病で肩や手首がガタガタのシェフを悩ませそう・・・。

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