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ベルギーコラム

Vol.05 ブリージュの聖血祭り

宮崎真紀

ベルギー在住、フードジャーナリスト及び衣食住に関するコーディネーター。食の世界の生活情報誌「ボナペティ」編集長。他に、国立料理学校でのフランス料理、フラワーアレンジ、ベルギーボビンレースの教室を主催する。

ブルージュの街はどんな季節にもロマンがある。磨り減った石畳の狭い道、色あせた赤いレンガ造りの傾いた家々。小船で運河から直接出入りしていた頃の苔むした階段や崩れそうな低い石の太鼓橋など、15世紀で止まってしまった当時の息吹が肌で感じられる。静かな裏道を歩くと、当時の人が今にも現われそうな雰囲気である。

聖血礼拝

復活したキリストが天に昇ったことを祝う昇天祭に行われる「聖血祭り」ほど、ブルージュの街に似合うものはない。市庁舎広場には聖血礼拝堂があり、フランドル伯爵ティエリー・ダルザスがエルサレムから持ち帰ったとされる、キリストの聖なる血の遺物が納めてある。これは毎週のミサで拝むことが出来る。だいぶ以前、怖いもの知らずの娘っ子のとき、私も一度だけ拝んだことがある。

偶然立ち寄ったミサの終わり、ベルギー人達が立ちあがりゾロゾロと列を作り始めた。私も立ちあがらずには居られない雰囲気で立ったのはいいが、左右の隣人にトコロテン式に押し出され、聖遺物を拝見する列に連なってしまった。エイままよ、と心を決め、他の人はどうするのかと観察した。

司祭の前には真紅のビロードのクッションが置かれ、その上には何やらガラスの細長い筒が乗せてあり、人々はそれに口づけをする。私の番になった。静粛に階段を登り、皆がしたように筒の前で立ち止まる。ガラスの筒の中にはあめ色に変色した数センチの象牙のようなものがあり、良く見るとシミらしきものがついている。キリスト教徒ではないので、さすが口づけははばかられ、思わず司祭を見上げてしまった。その温かい眼差しに誘われるように両手を合わせてから、足早に階段を下りたのだった。

行列の舞台裏

ドレスの貴婦人たち

観光局からもらったプレス・パスをつけて、仮装の準備に追われるホールに入った途端、私は中世にいた。甲冑をつけた騎士が胸の広く開いたドレスの貴婦人たちとおしゃべりに花を咲かせ、あちらにはベニスの商人風の男性がいたり、ボロをまとった農民の少年少女達が走り去ったりと、何百人もの人が目まぐるしく往来していた。

奥では、衣装の裾や二の腕を出して足や腕に小麦色の塗料を塗りたくっている一群がいて、誰かと思えば、モーゼに率いられて『出エジプト』を演じるイスラエルの民の老若男女だった。道理でさっき白い衣を着てツタンカーメンのような冠を被ったファラオと会ったわけだ。何百着と並ぶハンガーに掛かった衣装の間をウロウロして、フリッツを食べている毛皮をまとったアダムとイブ役の若い人を写真に撮ったりしていたら、「聖書を知っていますか?」と突然声をかけられた。振り向くと、銀髪が逆立ったおじいさんがいた。髭でもつけて誰かの役に扮装する人かと思ったら、2時間に及ぶ行列の行進指導をする舞台監督だった。イエスに扮する人のメーキャップが始まるので案内すると言い、かつらや髭を持ち化粧の順番を待つ人でごった返すなかを縫うように案内してくれた。

大人のイエス役が5人いると聞き、代役にしては数が多すぎると思ったが、その理由が分かった。行列は新約聖書の重要なエピソードの場面を演じたり踊ったりしながらパレードするので、順を追って各場面のイエスを用意する必要があるためだ。馬小屋で生れたイエス(本物の赤ちゃん)、少年のイエス、説教をするイエス、最後の晩餐のイエス、十字架を担ぐイエス、そして復活して昇天するイエス、といった具合である。白い衣にサンダル履きでメーキャップの順番を待つイエス達は、いま食べたランチや仕事の話をしたりと、まだ普通の人である。ところが、メーキャップ師の前に座り、顔を作りかつらをつけ始めるとだんだんその雰囲気になっていく。磔刑のイエスの額にはイバラの冠の下から流れる血。復活のイエスの仕上げは手と足の甲に釘を打たれた痕など、芸は細かい。完成品(人)には心なしか威厳までも備わっている。信長を外国人がやっても滑稽だし、醤油系の顔の日本人が外国人の風体をしてもどうもしっくりこないと常々思っていたので、さすがの「はまりぶり」に感心した。

1700人の大行列

出発の案内が繰り返し放送されると、ホール内は一段と忙しくなり皆外に出た。そこには何十頭もの羊と見張り番の犬、たくさんのロバや馬そしてラクダまでも待機していた。せいぜいアルザス公や王妃が乗る馬ぐらいと予想していたので驚いてしまった。ホール裏の道には既に何キロも先まで行列をする人達で埋まり、例の舞台監督が大活躍していた。シーン毎の登場人物を確認し、セリフや踊りが入る場合は最後の練習をさせて送り出す。かなり旧式の拡声器を肩からぶら下げ、よくもあんなにエネルギーがあるものだと感心するほど駆け回っている。

行列は道路をゆっくり行進して最後は桟敷席が設けられた鐘楼のある広場で最高潮に達する。私は予約をした桟敷席を目指したが、行列が通る細い道にはロープが張られ、ただで見ようとする椅子持参の人々や立ち見の見物客で埋まり全然進めない。やっとたどり着いた広場は桟敷席への通行が不可能だった。仕方なくそばの電柱によじ登ったが、最終の場面の終わりかけで馬の尻を見ただけだった。行列を出発前に間近で見てはいたが、あれは予行演習。何ヶ月も前から練習を重ねてきた本番はどんなに力がはいった素晴らしい行列だったことか。

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