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ベルギーコラム

Vol.02 オペラ

宮崎真紀

ベルギー在住、フードジャーナリスト及び衣食住に関するコーディネーター。食の世界の生活情報誌「ボナペティ」編集長。他に、国立料理学校でのフランス料理、フラワーアレンジ、ベルギーボビンレースの教室を主催する。

ベルギーに長く住んでいると、日本人というだけで、才能のあるなしに関わらずいろいろな仕事が舞い込んで来る。そんなこんなで気がつくとコーディネーターなどという仕事をしている。飲み食いしか能がない私の得意分野は料理関係だが、今回はオペラという大それたものを引き受けてしまった。NHKから、モネ劇場(ベルギー国立歌劇場)音楽監督の大野和士さんのドキュメンタリーを作るという話があった時、偉大な指揮者だが「家では子供」というギャップが甚だしい大野さんのファンであり、物作りが好きな私としては、オペラがどのようにして作られていくのか興味津々だったからである。

ロメオとジュリエット

コンサートの稽古場

撮影初日は、ベルリオーズのロメオとジュリエットのコンサートの稽古場。ボーザール劇場での公演に向けての練習は既に1週間前から始まっていた。大野さんから楽団員への我々の紹介がある。なにしろ音が勝負の世界に、カメラなどの機材を持ち込み4人の部外者がこれから40日間もへばりつくので、気が散るし邪魔なのは当たり前。だが、予想外に楽団員たちから温かい眼差しが向けられた。後で分ったことだけど、これは大野さんのカリスマ的な魅力のたまものなのである。

大野さんはある程度の楽章が済むと小休止をとり、奏者の母国語で注意や指示を与える。バイオリン奏者にはフランス語で、フルートへはドイツ語でと、我々も日本語で注意されると一発で頭に入るように、これも奏者の心を捕らえる彼の魅力の一つだ。指揮のテンポが小気味よい。あらゆる楽器の音色をとらえ、指揮をしながら各奏者へのコメントをもれなく頭に刻み込み、小休止の時にまるで機関銃のような速さで指示を出し、息をもつかず練習を続行する。指揮ぶりも楽団員の意識をギュッとつかんでそらせない。彼が指揮者席に座ると稽古場には一瞬ピンとした空気が張り、次の瞬間タクトの先から音楽が流れる。時には指揮台に立ち上がり汗だくでタクトを振り、会心の演奏にはえくぼを見せて微笑む。楽団員は誉められた子供のように更に励み、気がつかないうちにグングン引きこまれていくのだ。ある日タンバリン奏者を観察した。彼女は自分の出番が近づくと、まるで獲物を狙っている猫のようにかたずを飲んでタクトをにらんでいる。だんだんとアドレナリンが上昇し紅潮するのが分り、タクトが向けられるや否や一気にそのエネルギーを爆発させた。

コーディネーターの仕事

カメラマンからモネ劇場やグランプラスを高いところから撮りたいという依頼があった。彼の意図する街中が見渡せる小高い場所に行くが、旧市街のアチコチに超近代的な建物やクレーンが立ちどうも構図的に面白くない。ここなら、と狙いをつけた高層マンションの屋上に登るべくブザーを鳴らすと、物売りと間違われ怒られたり、ホテルの屋上は危険だと断られ、思うような景色の部屋の窓は開かなかったりと、景色を探して街中を歩き回る。また、モネ劇場の撮影にうってつけのビルの所有者をつきとめるのが一苦労だった。

結局ブラッセル市が所有と判明。しかし市役所に行くと警察の許可を求めろといわれ、警察署長に依頼書を書き、返事待ちとなる。返事が来るのは2週間後と言われ唖然とするが、こんなことでひるんでいてはコーディネーター失格。何回かの催促の末、やっと来た返事は郵便局に連絡せよというもの。我々が撮影したいビル側は郵便局の管轄なのだ。「なんてことなの。それなら、最初に聞きに行った郵便局の人が初めからそう言ってくれたら、こんなに時間が掛からなかったのに」と内心文句をいう。下町の風景を撮るときは300段以上もある教会の階段を登った。ここも当然のことだが断られ「何でも受け入れるのが教会でしょうが」と悪態をついたが、偶然通りかかった神父にすがり許可が下りたときは、舌の根も乾かないうちに「さすが教会」と賛美する厚かましさ。

ワグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」

このオペラは主役のトリスタンの歌う箇所が非常に長いうえに、上演時間も通常の2倍なので、最初からトリスタンには代役が用意されていた。が、本番まであと一週間という時にイゾルデ役の女性歌手が気管支炎で倒れた。関係者の間に緊張が走る。急きょドイツから代役を呼び寄せるが、彼女の乗る飛行機がキャンセルで遅れるなど、部外者の我々も気が気ではなかった。しかし、劇場側はこんなことには慣れているのか、かえって「スクープの現場に立ち会えてラッキーだ」と言われる始末。代役もさすがプロと感心させられる出来栄えだった。

ところで、日本ではちょっと考えられないと思うことがありビックリした。プレミエの夜、代役の件を知らせるチラシが観客に配られ、そこには「〇〇さんが急きょ代役を引き受けてくれた上に、xxさんも風邪をおして出演してくれた。このお陰で公演ができるので感謝しましょう」という主旨が書かれてあった。日本ならさしずめ「お客さまにご迷惑をお掛けして申し訳ありません」とでも書くところだろう。芸術家を大事にする気質なのか、オペラを愛する人種は騒がないのか。こんなところにも「文化の違い」が表れるものなのだ、と着飾った観客を見ながら妙に感心した。

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